「やりがいのある仕事という幻想」というしびれる本について
ぐさっとくるタイトル。。。
タイトルだけですが、あなたはどんな印象をもちました?
「おぉ、何これ?気になる」という人と「なんか嫌だわ(もやもや)」と感じる人
両方いらっしゃるような気がする
やりがいとは何か?
わたしはひと通り読んでみて、ひとつの視点としてすごく面白いかったし、むしろ今の世の中に必要な考え方なのでは?と思ったわけです(仕事が全て!に偏りすぎているように感じるから)
まず、まえがきにある
仕事というものは、今どんな服を着ているのか、というのと同じぐらい人間の本質ではない
という一文に、そうかも…と大きくうなずいてしまった
そのほか、気になりすぎる目次をいくつか。。
・「羨ましがられたい」という感情
・仕事をしてると偉いのか?
・やりがいとは何か?
・何故かいつも楽しそうな人
・人に自慢しないと気が済まない?
・なりたかったらもうしてるはず
・人は働くために生きているのではない
・検索しても解決策はない
とくに、
・「羨ましがられたい」という感情
・人に自慢しないと気が済まない?
の2つと
・何故かいつも楽しそうな人
これは、対局にあるのではないかと思う
なぜかいつも楽しそうな人
何故かいつも楽しそうな人は、
自分がやっていることをわざわざ誰かに話したり、すごいね、いいね、と言われなくても、こっちからすると何がそんなに面白いのだろう(←ちょっと失礼、すみません)と思うぐらい、没頭して、夢中でそのことをやってたりするものだなぁと思うのです
なんでそんなに楽しそうなの?と聞くと、ご機嫌にその話はしてくれたりはする
本当のやりがいかどうかは、太陽と月でわかる
占星術でみると、これって太陽と月ではないの?と、、、
月は、本物ではないからやってることを誰かに認めてもらえないと不安になる
太陽は、本物だから人は関係なく、むしろ人に迷惑をかけたり、嫌がられてでもやってる(笑)
これは、太陽と月のサイン(星座)やハウスをみるとよくわかる…!
そして「やりがい」という言葉だけど
「やりがい」というのは「手応え」という言葉にも似ていて、それは簡単にできちゃったら手応えはないんだし、どこか壁だったり抵抗感が必要になってくる
それでもやりたいと思えて、やれること
誰かに無理だよとか、やめてくれと言われてもやっていること
それが「やりがい」だし、「やりがいのある仕事」かもしれない
締切間際で、死ぬ物狂いで仕上げて、それなりにうまくいったことへの達成感などを「やりがい」とは言わない、、、と本の作者は言ってる
仕事とは何なのか?
結局、仕事というのは、自分の好きなことをするためのお金を得る手段であって、大事なのは「好きなこと、やりたいことは何か」の方なのかもしれない
好きなこと、やりたいことは他の誰かが教えてくれることではないから、自分で見つける必要がある。他の誰かが自分がやりたいことなんて、本当の意味でわかるはずがない
占星術などを使って、こういう類のことが好きなのでは?とか得意そうとか、という示唆まではできるので、そこをヒントにクライアントさんと対話して、本丸の答えにアプローチしていくのだけど、、、
やりがいを見つけるためには、ふとやりたいと思ったことをやってみて、色々やってみて、時には深めてみて、うまくいかなかったらどうしたらやれるか工夫してみて、とあれこれ自分なりに試行錯誤することで、見つかるかもしれないし、何よりそれって手応えがある
そうしたやりがいを感じるものが、仕事かもしれないし、仕事でないかもしれない
仕事だったら、それはどんどんお金になるわけで、好きなことでお金を稼ぐことにはなる
仕事でなかったら、好きなことをするために働けばいいし、それが苦痛にならない多少興味があること、ちょっと向いている仕事ことを選んですればいい
うんうん、そうだ!
ホロスコープを見ても、明らかにやりたいことが仕事っぽい人もいれば、これは自分の世界を楽しみたいだろうなぁという人もいる
色んな人のホロスコープを見てると、この本が言ってる意味に共感しやすくなるのかもしれない
社会で当たり前だと思われてる幸せの定義みたいなもの(お金、仕事)が壊れる時代が本当にきてるのだと思う。。
運行中の冥王星という巨大な力をもつ星が、この20年間はやぎ座という仕事の星座にいたわけで、今はやぎ座と次のみずがめ座との間を行ったり来たりしています
冥王星の最後は、本物のやぎ座でないものを徹底的に壊して、次に進む。偽物な、ウソな仕事のあり方はなくなっていくということ
来年2024年の11月には、完全にみずがめ座に移ります
みずがめ座という個人の自立と、その上での友愛があり、必要な人と必要なときにつながっていく時代へ
いま、一人一人が本当はどう生きていきたいのか(どう生きたっていい)、すごく問われてるんだよねと改めて思うのでした